不死者とココアを


「産まれて生きて死ぬなんて、誰にでもできることだろう」
 誰もが知っている当たり前のことを雄弁に語る白衣に身を包んだ男性――確かナツメと名乗っていた気がする――を両手で包んだマグカップに入ったココアから立ち上る湯気越しに眺めながら、私は、はあ、と返事をした。生返事もどこ吹く風。ナツメさんの話は続く。
「誰にでもできることをするのはつまらないから、」
「不老不死になろうと」
「そう」
 間髪を入れず放たれた肯定の声と同時に、真っ直ぐ伸びた右手の人差し指が私の鼻先に向けられた。ナツメさんは笑みを深くする。話を遮って先に結論を言われてしまっても、不機嫌になるどころか寧ろ喜びもひとしおと言った様子だ。
「物分りが良くて助かるよ」
 もう一度私は、はあ、と返事をした。一切合切理解は出来ていないのだけれども、満足そうに頷いているので変に水を差さないほうが良いだろう。
 
 ところが、ナツメさんはさっきまでの雄弁さから一転、弧を描いていた両眉をへにょりと八の字に曲げた。すっかり弱りきった様子で「いやあ、結構苦労したんだよ」と独りごちるように語る。途方も無い苦労があったことは予想出来るが、果たしてそれは「結構」で済む程度のものなんだろうか。
「本当に不老不死になったのかを自分自身で検証する必要があったんだけれど中々それに難儀して……ああ、申し訳無いけど詳しいことはトップシークレット」
「はあ」
「それで、無事に不老不死になったは良いけれど、それを嘘付き呼ばわりされるなんてたまったもんじゃない。そのためにも証拠が必要になるだろう」
「だから、生き証人の為に私も不老不死に」
「そうそう」ナツメさんは嬉しそうに首を縦に振る。そうしてまた、「物分かりが良くて助かるよ」と言った。
 
「何はともあれ、これから宜しく」
 差し出された右手を躊躇いがちに握り返す。宜しく、なんて言われても一体何を宜しくすればいいのやら。
 私と握手をしたままニコリと微笑むその顔は、皺一つなく若々しい。その後ろの壁に貼られた色褪せた写真に写り込むセピア色の彼もまた、同じような若々しい姿のままで微笑んでいる。
 
「……それで、私は一体何をすればいいんでしょう」
「別に何も。私が生き延びているのを見守っていてくれればそれで十分」
 なんだ、と拍子抜けした。
 実験に協力を、と言われて連れて来られたのはいいものの、私は生まれてこの方文系だ。果たして協力なんて出来るのだろうかとドキドキしていたけれど、どうにもそれは杞憂だったらしい。心の中でそっと胸を撫で下ろす。
 ナツメさんは相槌も打たず黙りこくっている私が不満げであると判断したのか、少しだけ考え込む様子を見せた後、口を開いた。
「まあ、もし手伝ってくれるのならひとつだけ」
「何でしょうか」
「人捜し」
「ひとさがし」
 そっくりそのまま復唱すると、「うん」とナツメさんは頷いた。
「シバタくんと言って、私が二番目に不老不死にした人間だよ。彼は私が五十年は生きた証拠になるからねえ、居てくれないと困るんだ」
 そこまで言い終わるとナツメさんは私の手からマグカップを取り上げた。私は手持ち無沙汰になった両手の行き場に迷って、揃えて両膝に置くことにした。
 
「着替えたら隣の部屋に着て貰えるかな。君もいつまでもそんな服着ていたくはないでしょう」と、私が着ている白色の手術衣を指差す。「ココアのおかわりを淹れてあげるよ。それに、お茶菓子も少しなら残っていたかもしれないし」
 ナツメさんは私が頷いたのを確認すると「急がなくてもいいよ」と付け足した。
「時間は十分にあるからね、君も私も」
 そう言い残してナツメさんは部屋を出ていく。
 
 ナツメさんはああ言ったけれど、少なくとも私は早くシバタさんとやらを見つけて、これからの身の振り方を考える必要がありそうだ。老いることもなければ死ぬこともないなんて、これまでの人生の中で経験したことが無いのだから。時間は十分どころか十二分すぎるぐらいある。ひとまずは早く着替えてココアをご馳走になろうと思い、私は手術衣の紐に手を伸ばした。
 
 
 私はこの後に運良くシバタさんと出会い、ナツメさんがココアに一種の精神安定剤を混ぜていることを耳にするのだが、それはまた別の話である。