なにもしらない


 『先生』がぱちんと手を叩くと、死者の魂の依代になっていた男の身体が崩れ落ちた。イタコの少女は幼い声でたどたどしく終わりを告げて席を立つ。危なっかしくふらつきながら、従者に手を引かれて御簾の奥へと消えていき、それを見送った死者の家族もまた別室へと移動する。
「どうです。うちの先生もなかなかの怪演でしょう?」
 さっきまでその場に倒れ伏せていた筈の男がいつの間にか背後から現れて、ニコニコと言うべきかニヤニヤと言うべきか、とにかくそんな笑みを浮かべて立っている。
「……大丈夫なんですか。あなた方の先生、随分とふらついていたようですけど」
「大丈夫です、緊張が解けて疲れが出ただけですよ。いつものことです」
「いつものこと、って……」
「寝て起きたらケロリとしてますよ。九九すら覚えられないような頭で、意味の分からない真言やら祝詞やら経文やらを見知らぬ大人達に見つめられながら一言一句間違えず暗唱したんです。そりゃあどっと疲れますよ」
「九九すら? まさか、そんな歳には見えませんでしたけど」
「いいえ、それがね、利口そうに見えるのは顔だけで、歳の割に出来が悪いんです。……そんな知恵の足りない落ちこぼれが、皆の役に立てるならって日夜イタコとして才覚を奮っているんですよ。……まあ全部、インチキなんですけど。どうです、感動して泣けてきませんか?」
「……いいえ、全く」
「あら、そう。それは大変残念です」
 口ではそう言いつつも、やはりちっとも残念がる様子を見せないまま、男はニヤニヤした笑みを更に深くした。