03


「イトウさん」
「……んだよ」
「顔色最悪ですよ」
 言われなくても分かってる、と物凄く不機嫌な声。不機嫌になるのも仕方ないなと思う。
「お前だって人のこと言えねえ顔してるだろ」
「当たり前じゃないですか。こんな状況なんですから」
 
 言って、喉を抑えてうえぇと舌を出す。有り得ないくらい口の中が酸っぱくて、喉がひりつく。それから頭の中が直接殴られているようにガンガン痛んで、足元がふらつくけれど、口の中の不愉快さで現実に引き戻されてしまう。また吐きそうだ。ペットボトルのお茶を飲んで紛らわせる。イトウさんは「どうせ吐くし」と言ってうがいだけした。慣れてますねと言ったらめちゃくちゃ嫌そうな顔をされた。事実なのに。
 
「あー気分わりい。とっとと探してとっとと帰るぞ。あと応援さっさと来い」
 遅えんだよクソ、と壁を蹴る。鈍い音が響き渡る。壁に穴が開いたらどうしようか、探す為に仕方なくって言えば許して貰えるだろうか。とにかくイトウさんの言う通り、早く探し出して一刻も早くこの家から出たい。
 ……ああ。僕達が探している物。それは、職業柄、あれしかないでしょう。
 
 
 
 遡ること2時間前。
 イトウさんの奢りで昼ご飯を食べ終わって、今日はこのまま待機してるだけで終わりですかねえ、なんて会話をしていたら丁度回収の電話が入った。その日は朝に1件回収しただけで、管理課に遺体を受け渡した後も仕事が入ることは無く、ひたすら待機していた。出勤しても待機しているだけで終わることも珍しくないし、要するに誰も死ななかったということだから別に良いのだけれど。
 
「次どこですか?」
 電話を終えたイトウさんに聞く。
「すぐ近く。車で10分も掛かんねえらしい」
 了解しましたーと軽い調子で答えてエンジンをかけて車を走らせる。
 
「この前誘拐事件あっただろ」
「ありましたね。小学生の女の子が下校中にいなくなったってやつでしょう」
「あれ見つかったんだとさ」
「じゃあそれの回収ですか」
「うん……で、今から行くのがその母親の家なんだよ」
「ええ、じゃあ誘拐に見せ掛けて殺してたってことですか? 普通に殺せばいいのに、わざわざ面倒臭いことしますね……」
 リモコンのボタンが押された時には管理課に連絡が入って僕達が回収する手筈になっているけれど、心臓が停止した時も管理課に連絡が入る仕組みにすればこういう場合の回収も楽になるんじゃないんだろうか。どうだろう。
 
 
 現場は本当にすぐ近くだったようで、話をしている内に着いた。家の周りには何台かのパトカーが停まっていたので少し離れた所に車を停める。僕らが到着するまでの間に警察が軽く捜査していたけれど、それは一旦中断してもらい、僕達が遺体を回収した後から本格的な捜査が始まる。
 ちゃっちゃと済ませるぞ、と言いながらイトウさんが玄関ドアを開く。玄関を上がってすぐ左側の部屋――リビングに入って真っ先に目に入ったのは、テーブルの上に置かれた物だった。真っ赤なハンカチ。何かを包んでる? 白いテーブルの上に置かれているので嫌というほど目についた。なんだこりゃ、と言ってイトウさんがハンカチに包まれた物を持ち上げる。包まれているものはリモコンだろうか。指紋がつかないようにでもしてるのかな。イトウさんがハンカチの包みを開いていく。段々と中身が明らかになって、見えたのは、白と赤。
 
 
 
 あ。
 
 これの正体が何なのか、よく知っている。
 毎日見てる。見たことが無い日があるだろうか。
 そういえば、この子は女の子だったっけ。何歳? 確か、6歳。うわあ。酷いことするなあ。
 ……なんて、とぼけたことを考えていたら、ばたばたという大きな足音で我に返った。イトウさんがトイレに駆け込む。もし“残り”をトイレに流していたりしたら証拠とかどうするんだろうかと思ったけれど、その後僕も使ったので深くは考えないことにした。そもそも僕らは回収して運ぶことが本職なのであって、こういうのは専門外だし、仕方ない。僕らの行為によって困ることがあるならばさっさと法改正とか見直しとかすればいいんだ。暫くして水を流す音がしたかと思えば、ケロリとした顔で(勿論青ざめてはいた)イトウさんが出てきた。
 
「昼飯全部出るかと思った」
「報告しなくていいです」
 
 
 
 ――そんなこんなで現在に至る。然程広い家じゃないのが救いだろうか。今のところ見つかっているのはハンカチに包まれていた指が5本と、イトウさんがトイレに駆け込んだ時に見つけた、これがまた指が5本。見つけた時にまた吐いたらしい。別に知りたくなかった。
 
「指だけ先に見つかって良かったな。指一本一本探すなんてやりたくねえ」
「指以外も探すのは御免ですけどね……うわ」
 テレビ横のゴミ箱をひっくり返すと紙屑に紛れてごとりと足首が落ちてきた。おそらく右。
「というか、何でわざわざこの現場が僕らに回ってくるんですかね。イトウさん吐いちゃうのに」
 足首を回収用の袋に入れる。ソファの上に無造作に置かれたコンビニの袋の中身を覗く。食料品しか入っていない。
「俺のこと知ってる奴なら回してこねえんだけどなあ。例え間近にいても。担当したのが知らねえ奴だったか、それか新人か」
 棚も引き出しも、可能性があるところは次々と開けていくけれど収穫無し。背後から「あった……」とげんなりした声が聞こえてきたので振り返る。イトウさんが開いた食器棚の中に腕が2本。
「はあ……つーか最初に聞いた時は母親が殺してるって情報だけだったんだよ」
 バラされてるって知ってたら俺も受けてねえ、と言いつつイトウさんが冷蔵庫を開ける。寸前で止まる。
「イトウさん?」
「……後で調べる」
「後でも先でも、他の場所で見つかんなかったら開けなきゃなんないですよ。ってか冷蔵庫とか格好の隠し場所だから絶対入ってるでしょ」
「うるせえな。気分の問題なんだよ」
 
 リビングはこれ以上探しても何も無さそうだったので、二手に分かれて探すことにした。リビングの向かい側の脱衣所に入る。
「……うわ」
 ドアを開けた途端に噎せ返るような血の匂いに包まれた。やっぱりこういうのは風呂場で解体するものなんだろうか。脱衣所を軽く調べたけれど何もなかったので、浴室に繋がる引き戸を開く。血の匂いが更に強くなって、蓋が閉められた浴槽が真っ先に目に入った。多分、あるとしたらここ。もしも浴槽に水が貯められてたらどうしようか。水流しちゃうのは流石に駄目かな、ふやけてたら排水管に詰まるかな……。悩んでも仕方ない、と悪い妄想を断ち切るように目を瞑り、勢いづけて蓋を開けた。恐る恐る目を開けたら、図らずも安堵の声が漏れた。とはいえ、水が貯められていなかっただけで、浴槽の中には足首の付いていない両脚がきちんと2本揃えて並べられていたので何も良くないけれど。いや、見つかったから良いのか。どっちだろうか。
 頭の中がふらふらする。というかふわふわして思考がとっ散らかっている。集中しようと思って深呼吸をして、肺いっぱいに鉄の匂いが広がって、せり上がって来た胃の内容物を無理矢理飲み込んだ。もう最悪だ。それ以外に何も考えられない。頭の中をリセットさせようとして頭を左右に振った。余計にふらついた。
 
「ササキ」
 ふらふらと脱衣所から廊下に出たところで名前を呼ばれた。イトウさんが用件も無く呼ぶ筈がないから、呼ばれたということはそういうことだろう。行きたくないなあ嫌だなあと思って返事はしなかった。抵抗するだけ無駄なのは分かっているし、あの人は自分だけ不快な思いをするのは嫌がるから拒否しても引き摺っていくに違いない。というかそもそも、回収課の職員は確認の義務があるので、引き摺られる以前に見ないといけないことには変わりはないのだけれど。そんなことを考えていたら、聞こえてないと思われたのかもう一度名前を呼ばれた。
「……なんですか」
「こっち来い」
 覚悟を決めて声がした部屋――ドアプレートを見るに子供部屋だ――に入る。相変わらず真っ青な顔をしたイトウさんが無言でベッドを顎で指し示す。不自然に盛り上がった布団。ぬいぐるみが寝てるとかならいいのに。
「せーので開けるぞ」
「あ、どうぞ、譲ります。僕歳上には譲る主義なんで」
「せーの」
「悲しくなるんで無視はやめてください」
 
 布団の両端を掴んで勢いよく捲る。子供向けのキャラクターがプリントされたTシャツとスカートを着せられた……これは達磨って言うのかな、と思ったけれど首も無いから何て呼べばいいんだろう。うーん。足を切り離した部分はスカートが被さって隠れているけれど、イトウさん側、つまり頭の方は断面が見えているのではと想像していたらやはりそうだったらしく、ふらりとイトウさんが部屋から出て行った。すぐに戻ってきた。
「早かったですね」
「もう吐くもんが残ってねえ」
「…………あと探してない部屋ってありますか?」
「ここの横の部屋だけ。玄関周りはもう見た。下駄箱の中に、……下駄箱に入ってた靴ん中、左足首が入ってた」
 わざわざ言い直してくれなくても、とは言わなかった。
 
 子供部屋の横の部屋、主寝室へと続くドアを開く。
「わっ」
「あったか? ……うおっ」
 足を踏み入れようとしたけれど、ベッドの上に置かれた目的の物をひと目見て立ち止まってしまった。僕の頭越しに部屋を覗き込んだイトウさんも固まる。
 首無しの胴体があったので、当然胴体から切り離されていた首が存在しているのは想像に容易かったけれど驚くことは避けられなかった。ご丁寧にも部屋に入ってすぐご尊顔を拝めるように、顔をこちら側に向けて固定してくれている。悪趣味な女だな、とイトウさんがぼそりと呟く。今口を開いたら何か出てきそうだったので頷くだけで返事をした。
 
「まあ、何はともあれこれで最後か……」
「……ですね」
「お疲れさん」
「お疲れ様でした」
 死臭にまみれた男が2人、生首に見つめられながら労をねぎらう。傍から見れば異様な光景だろうけれども、やっと帰れる喜びに比べたらそんな些細なことどうだっていい。早く帰りたいな。あ、でも家に入る前にシャワーだけは浴びたい……。
「イトウさん、僕かなり頑張ったので今度の休み焼肉奢ってください」
「今焼肉とか言うな。殺すぞ」
 言っていることは物騒でも、心なしか顔は穏やかだ。顔色は良くないけど。
 
 
 遺体をリビングに運び集めて回収用の袋に収めていたら、ふと冷蔵庫が目に入った。絶対入ってるなんて言っちゃったけど、そんなことなかったな。
「結局開けなくて済みましたね、冷蔵庫」
「そういやそうだな」
「一応見ときますか」
 がちゃり。冷蔵庫の庫内灯が顔を照らす。
 
 
 
「…………ああ」
「…………なるほど」
 モツ。あ、いや、こういうこと言うと焼肉食べられなくなるから駄目だ。だからつまり、入っていたのは単刀直入に言うと内臓でした。ここまできてまさか牛や豚ってことはないだろうなあ。ビニール袋に収まった内臓以外には何も無いがらんとした冷蔵庫。わざとですかね。わざとだろうな。そんなやり取りをしてお互い即座に走り出した。
 
「おい! 上司に譲れ!!」
「嫌です! イトウさん散々吐いたんだから僕に譲ってください! 台所のシンクで吐いてください、シンクで!」
「誰が内臓の横でゲロ吐きたがるんだよ!」
「その言葉そっくりそのまま返しますけど!!」
 
 
 今日はとにかくもう、何もかもめちゃくちゃだった。