牛の首


「三ツ谷さん、今何の仕事されてますか? ああ、はい、ふんふん……。……なるほど。うん、じゃあ、それが終わった後でいいので、暫く調べ物を頼まれてもらえませんか? はい。急ぎじゃないので慌てて終わらせなくても大丈夫ですよ。資料は一部だけ抜粋して持ってきました。ある程度目を通してくれれば説明しやすいですから……合間の息抜きがてらに軽く読んでおいてくれますか? 流し読み程度でいいですよ。それじゃあ、取り掛かれるようになったら私に声掛けてください。詳しいことはまたその時に」
 ぺらぺらと矢継ぎ早に捲し立てられて「あ、はい」とだけ返事をしたら四ノ宮さんはドサドサドサ! と俺の机の上に分厚い本を六、七冊ほど積み上げて、スリッパをペタペタ鳴らしながら自分のデスクに帰っていった。
「えっ、何? ……えっ?」
 とりあえず、積み上げられた資料とやらはただただひたすら埃っぽかった。
 
 
「調べてもらいたいのは『牛の首』です」
 それから数日。
 次の仕事の指示を貰いに伺えば、四ノ宮さんは右手の人差し指を立ててそう言った。
「牛の首」
「ご存知ですか?」
 牛の首ってあの、牛の首? 白に黒縁の模様を施した動物の顔が咄嗟に浮かんだけれど、多分、いや、絶対違う。もしそうだったとしたらこの人は俺に何をさせようとしているんだ。脳裏に思い浮かべたホルスタインがモウと鳴こうとしている。首を横に振って「知りません」と答えた。
 
「そうですか。じゃあ、ちょうど良かった」
 ちょうど良いってどういうことだろう。普通、ある程度知っている方が手っ取り早くていいんじゃないだろうか。そう思ったけれど、先入観が無い方がやりやすいものなのだと説明された。
「そういうものなんですか?」
 そういうものなんですよ、と言いながら四ノ宮さんは積み上げられた資料の一番上の本を手に取ってパラパラめくる。
「この前も言いましたけど、私が持ってきた資料は一部です。足りなければ書庫の方に探しに行ってください」
 ぱたんと音を立てて本が閉じられた。
「そういう訳で、よろしくお願いします」
「分かりました」
 
 
 それからまた数日。
 分かりましたとは言ったものの、結論から言えば、牛の首探しはとんでもなく難航した。何を読んでもどこを読んでも全く記述が無い。牛のうの字すら無い。一息つこうと給湯室にコーヒーを淹れに行ったら四ノ宮さんと鉢合わせたので、「もしかして牛の首ってあんまり知名度ないんですか?」と聞いてみたら「そうかもしれませんねえ」と言いながら緑茶を啜っていた。
 マイナーな怪談話がどこまで流布してるのか調べるとか、そういうことなんだろうか。
 
 
 それからまたまた数日。
「その後はどんな具合でしょう」
「…………」
「……その様子だとあまり良くないみたいですね」
 様子を窺いに来た四ノ宮さんが顔を曇らせているのが山積された資料の間からちらりと見える。あれからムキになって探し続けた。いろいろ読み漁っている中でこの間行った古トンネルに似た話をいくつか見つけたけれども、肝心の馬の首は全く見つけられなかった。馬? あれ? 牛だっけ?
 訳が分からなくなってきた。読み終わった資料をまた積み上げる。
 
「それじゃ、ネタばらしをしましょうか」
「は」
 唐突にそう言われて思わず変な声が漏れる。ネタばらし、とは。なんだか嫌な予感がする。あまり聞いても嬉しくなさそうな。ちょっと待ってください、と言おうとしたらそれよりも早く四ノ宮さんの口が動く。
「そもそも、牛の首なんて話は無いんです」
「だっ……だ、だ、騙した!!」
「騙してません」
 人聞きの悪い、と眉根が寄せられる。
「最後まで聞いてください。でもまあ、無いと言い切るのは乱暴すぎましたね。正確には、無い話として在るんです」
「ええっと、つまり……?」
 いまいち理解しきれない。そうですねえ、と言ってから、四ノ宮さんは自分のデスクに行ったかと思えば何かを手に持ちながらすぐ戻ってきた。手渡されたのは文庫本。私物だそうだ。指定されたページを開き、そこに書かれている文章を読む。
 
 
 『牛の首』という世にも恐ろしい話がある。聞けば悪いことが起きる、恐怖のあまり死んでしまうとも聞く。その話を知っている者はみんな口を揃えてこれが一番怖いと言う。何も知らない男が内容を尋ねるが、「聞かない方がいい」「話すのも嫌だ」と言って誰も答えてくれない。何としてでも内容を知りたい男は話の出処を探り、ある驚愕の事実を突き止める。
 
「ーーなんだ」
 読んでようやく理解した。要するに、牛の首なんて話はやっぱり存在しない。『非常に恐ろしい話』という噂と『牛の首』という題名だけがひとり歩きして、人々の恐怖心と好奇心を煽っているだけに過ぎないということだ。
 
「そういうこと……」
「そういうことです」
「まあ、運が良かったら真実が書いてある本が見つかったかもしれないですけどね。基本的には見つからない方が正解です。牛の首はどんな話なんだろうかと思いを巡らせることが重要で、私達は牛の首が完全に忘れられたり出来上がったりするのを防がなくちゃいけません。だから、三ツ谷さんがとんでもなく恐ろしい『牛の首』を読んだ、聞いた、なんて言い出したら今頃社内は大パニックですよ」
「もし、牛の首が出来上がったとしたら……?」
「消します。全部。出来るだけたくさん」
 何を、どうやって、とは聞かなかった。なんとなく怖かったので。
 
 
「色々どうも失礼しました。現場に行って調べるだけじゃなくてこういったケースもあることを知ってもらうって魂胆で、新人の方には『牛の首』探しをやらせるという暗黙のルールがありまして」
「ああ、なるほど……。ってことは、四ノ宮さんも新人の頃やられたんですか?」
「勿論です。……と、言いたいところなんですが、私は元々知っていたので意味が無くって」
 無いと分かっていながら探すのも酷な話ですよ、と四ノ宮さん。
 何にせよ、この数日間の努力は徒労に終わったということだ。思わずため息が出る。まあまあ、と宥める声。
 
「三ツ谷さんもいずれ上司になればその時は同じように指導してあげてくださいね」
「分かりました。……けど、それまで続けられるのかな……」
「そうですか? 三ツ谷さんはこの仕事すごく向いてると思いますけど」
「ほんとにそう思ってます?」
 疑いの眼差しを向けられて、四ノ宮さんはわざとらしく肩を竦めながら「すっかり信用を失っちゃいましたね」と笑っていた。