待ち人来たりて


 二百と三年前、村一番の臆病者である弟分をからかう為に適当にでっち上げた嘘が、いつしかこの村の若い衆の度胸試しになっていると気付いたのは、男が十一回目の生まれ変わりを果たしてから五年後のことであった。
 男はいわゆる不老不死というやつではないのだが、これまでに十回死んで、その度十一回生まれ変わった。生まれ変わるのは毎回同じ村の中で、大体いつも、男が五つか六つくらいになった頃には「自分は以前もこの村で生まれ育ったのだ」ということを思い出すのである。
 
 度胸試しは月の無い夜に行われる。村外れにある廃寺に一人で向かい、そこにある御札を取って帰ってくるという簡単なものである。廃寺には化け狐が棲み着いている噂があった。皆信じていないという素振りをしているが、やはりどこか恐ろしく感じているようだった。度胸試しに向かう若い衆の顔は、皆それぞれ一様に引き攣っている。
 廃寺に化け狐なんて居ない事も、月の無い夜の恐ろしさと美しさも十二分に知っていた男にとっては、そんな子供騙しの度胸試しなど何の問題も無い。それでも男は何としてでも度胸試しを回避したかった。願わくば、自分が成長するあと数年で度胸試しが廃れるように。もしくは、それまでに自身がくたばるか。
 男にはどうしても廃寺に近付きたくない理由があったのだ。
 
 しかしながら現実はそう上手くいかないものである。男はみるみるうちに、度胸試しに参加するような年齢にまですくすくと成長してしまった。度胸試しに参加しないという手もあったが、そうなれば臆病者だと馬鹿にされてしまう。かつての弟分のように、腰抜け呼ばわりは避けたかった。
 
 月の無い真夜中、村の若い衆は一同に介した。事前に行ったくじ引きの順番通りに、一人ずつ廃寺に向かっていく。予めくじに細工をしておいたため、男の順番は最後になった。万が一男の帰りが遅かった時、後続の者が追い付いてきては不味いのだ。
 やがて男に順番が回ってきた。灯りを受け取り、歩き出す。

 廃寺まではそう遠くない。駆け足で進めばすぐにその姿が見えた。男は手近な御札を剥がし、階段にどかっと腰掛ける。
 自分の息遣いしか聞こえない静寂の中、ソレはすぐやって来た。
 

――しゅるり。

 男の首に何かが巻き付く。
 ひんやりしたその感触に、男は戸惑う様子も無く慣れた手付きで巻き付く何かに灯りを近付けた。
「わっ。あちちっ」
 巻き付いていた何かはあっという間に離れたかと思うと、次いで男の目の前に大きな顔が現れた。顔はぱかりと上下に開き、その最奥からは二股に別れた真っ赤な舌が覗いている。舌は男の顔に近付くが、男はそれをやはり慣れた手付きで払いのける。

 顔の主は悲しそうに舌をちろちろ戻すと悲しげに笑った。
「久し振りの再会だというのに、随分手荒い歓迎じゃない。ねぇ?」
「煩いな」
 男は顔の主――大きな蛇に向かって不機嫌に言い放ち睨みつける。男の態度もどこ吹く風と、余裕すら見せる様子の蛇に男はハッキリと言ってやった。
「いいか、何も俺はお前に顔を見せようと思ってこんな所に来たんじゃあ無い。ただここに来るのを拒んで、村の若い衆に腰抜け呼ばわりされるのが御免だったんだ」
「相変わらず面子を保つ為には妥協しないねえ。お陰でお互いこんなことになったって言うのに……」蛇は器用にとぐろを巻く。「それがお前さんの良いところでもあるんだけれど」
「例えまた次、ここに来たとしてもすぐ帰ってやる」

 男の物言いに蛇は困ったように舌をちろちろ出しては戻す。
「おや、そんな悲しいこと言わないでおくれ。お前があんまりにも顔を見せてくれなかったんだもの。私はまたこうして会えたのを嬉しく思っているんだよ、弥助兄ちゃん」
 蛇の言葉に男は思わず「あっ」と声を上げた。男の間抜けな顔に、蛇はいかにも愉快といった様子で体をくねらせている。
「お、お前……、まさか、これはお、お前が仕組んだのか」
 怒りと羞恥でふるふる震える指で男は蛇の眼を真っ直ぐ差した。喋る度に奥歯がカチカチ鳴るのがどうにも恥ずかしい。

 二百と三年前のこと、臆病な弟分な自分のことを弥助兄ちゃんと呼び慕っていた。自分のことを弥助兄ちゃんと呼んだ人間は、あれより前にもあれから後にも何人たりとも居ないはずだ。
「うふ、うふふ。お前さんったらひとつも気付かないんだもの」
 蛇は相変わらず、ああ可笑しい、と体をくねらせている。
「でもね、勘違いしないでおくれよ。確かに私は人の振りをしてお前さんを騙したけれど、ここまで来る様に仕向けたりはしていないんだよ。私達の話をこっそり聞いていた奴がいて、それが段々と尾ひれが付いて広まって、そうこうしていくうちにこの有様さ。有り得ない話じゃあないだろう?」
 問いに対して黙って頷く。
「だから、さ、噂好きな人間達に免じて、せめて度胸試しの流行りが続く間だけでもここに来ておくれよ」
 男が鼻を鳴らすと、蛇は満足そうに目を細めた。

「さ、お喋りも済んだことだしそろそろお暇した方がいいんじゃないかな?」
「ええ?」
「だって、お前の帰りがあんまりにも遅いと、化け狐に襲われたもんと思って皆が見に来ちまう。私だって賑やかなのは嫌いじゃないが……大勢でガヤガヤ騒がれるのは嫌さ。分かったらほら、早くお帰り」
 蛇の尻尾が男の背中を押す。しかし一向に動こうとしない男を、蛇は不思議そうに一瞥する。
「どうしたんだい」
「こんな惨めな気持ちをしたままで村に帰れるか。今生はこれっきりにする。頭を噛み砕くなりなんなりして殺してくれよ」男はそう言ったきり、座り込んで顔を伏せてしまった。「お前もそうした方がスッキリするだろう」
 
 僅かばかりの静寂の後、男は突如として宙に浮かぶような妙な浮遊感を覚えた。蛇の尻尾が男の帯を掴み、無理やり立たせたのだ。帯を離れた尻尾はそのまま上に持ち上がり、慈しむように男の頬を撫でる。
「そんなことはしないよ。これでも私はお前のことを結構気に入っているんだ。連れないことを言わないで、まだもう少し私と遊んでおくれ、弥助兄ちゃん」


 それから二人がどうなったかは、誰も知る由もない。