ヤギにまつわる与太話


 ヤギの目が横長なのはなんでかって?
 ああそりゃね、その昔、ヤギが悪いことをしたからだよ。
 正確に言うとあれは目じゃなくてだね、瞳孔と言って目の虹彩に囲まれた穴のことで…………えーっと、そうだな、ネコの黒目が丸くなったり細くなったりするのって、見たことある? そうそう、あれも瞳孔。ああすることで、猫は夜でも獲物を追っ掛けることが出来るんだ。

 ヤギもまた、かつては縦長の瞳孔を持っていた。素早く瞳孔を絞ることで目に入る光を効率よく調整できる。硬く突き出た角は相手を威圧し、鋭い爪は肉を切り裂き、尖った牙で獲物の喉笛に噛み付いた。暗闇で簡単に獲物を追い詰める彼らは、天性の狩人だったんだよ。
 食物連鎖の頂点に位置していたヤギは同時に孤独でもあった。当然だよねぇ。喧嘩っ早くてすぐ頭突きをしてくる。おまけに、敵と見なした相手はずっと覚えて追い回してくるんだから。ヤギは孤独で、常に周りは敵だらけだった。でもヤギは気にしない。周りの弱くて臆病な奴らは自分の格好の的で、縄張りに侵入してくるのは目障りな奴らとしか思っていなかったから。

 ヤギの目が横長になってしまったのは、ある晴れた日の--ちょうど今ぐらいの昼下がりのことだった。
 その日はたまたま大物を仕留めることが出来た。満腹になったヤギは、切り株を背にしてウトウトしてたんだよ。そこに何人かのお客様がやって来る。やって来たのは日頃からヤギに虐げられて来た動物たちで、視界に入る度に追っかけ回されたウサギとか、頭突きされた勢いで足を折られたイヌとか、あと、ヤギの腹に収まってるクマの子供とか。
 
 彼らはヤギがウトウトしているのを遠巻きに眺めて、深い眠りに落ちるのを待った。とにかく待った。ひたすら待った。こっくりこっくり船を漕いで、あるところでガクンと落ちた。それを皮切りに大きなイビキを立て始めたから、奴らはそろそろヤギに近づいていく。木の枝一本踏み折らないように細心の注意を払いながら。
 そろりそろりと歩み続けて、やがてヤギのところまで辿り着いた。ヤギを取り囲んだ奴らは、各々が握り締めていた手頃な枝を天高く掲げた。「せぇの」の合図で振り下ろす。

 と、いう訳で、頭をぱかん! と殴られてしまった。
 その衝撃でヤギの瞳孔は潰れちゃって、見るも無残な横長の長方形の瞳孔になったんだ。
 立派な縦長の瞳孔を失って、ひしゃげた横長の長方形じゃ夜目も効かない。おまけに、気を失っている間に、牙は折られて爪は引っこ抜かれた。白目を剥いて泡を吹いて、それがあんまりにも哀れだからって、角をへし折られるのは免れたらしいけど。
 それ以来前歯は生えてこなくなって、そんなんじゃ到底肉なんて食べられないから、上あごで草をすり潰すしかないし、爪も蹄の形に叩き潰されちゃった。そういう訳で文字通り牙を失ったヤギは、時々メェメェ鳴きながら草をむしゃむしゃ食べて、代わり映えのないつまんない生活を送るしかなくなっちゃったってこと。


 --なんて、嘘だよ。そんな訳ないじゃないの。
 ええ? あらまあ、信じちゃった? ばっかだなー。
 あれはだね、周りをよぉーく見るためにそうなってるんだよ。ヤギとかヒツジとか……、ウシでもいいや。あとアルパカも。今度動物園にでも行く機会があったら、観察してごらん。遠足とかで行くんじゃないの? 動物園って。
 ああいう草食動物っていうのは顔の横に目が付いてるから、人間よりも広い範囲を見られる、ってのは分かる? うんうん、肉食動物に襲われてもすぐ逃げられるようにね。それで、餌を食べる時に下を向くじゃない。でもヤギの目はよく出来ていて、頭が下を向いても瞳孔は地面に水平になったまま。だから、餌を食べるっていう無防備な状態でも、360度の広い視野を確保できる仕組みになってるんだよ。
 
 さ、ほら、分かったらさっさと家に帰って宿題でもしなさいよ。漢字の書き取りと、あと算数のプリントも出てんでしょ。さっきみっちゃんが教えてくれたよ。
 あぁ疲れた。どっかの誰かがお話しろってせびるから、すっかり喉がカラカラなんだけど。
 
 言い終わるやいなや、ゴトウさんは持っていたペットボトルを傾けて、緑茶を一気に飲み干した。
「そっちが勝手に話し始めたんじゃん」
 謂れなき罪に問われないよう、すぐさま反論すると、ゴトウさんはペットボトルの蓋を締めて脇に置き、今度は週刊誌を手に取った。そのまま天に向かって手を伸ばし、高々と掲げる。
 この人は一体、何をするつもりなんだろう。
 呆気に取られながら黙って見守っていると、ゴトウさんは素早くそれを丸めて筒状にし、勢いよく振り抜いた。ぱかん! と小気味良い音がして、気付いた時には頭を叩かれた後だった。
「いってえ!」
 じわっとした痛みが遅れてやってくる。思いの外いい音が出たねぇ、とご満悦な様子で、ゴトウさんはけらけら笑う。頬杖をついていない方の手が、虫でも追っ払うかのようにひらひら揺らされた。
 分かったら道草食わずにとっととお帰りよ。
 そう言って、ゴトウさんは横長の瞳孔を細めて薄く笑った。
あとがき ヤギ→goat→ゴート→ゴトウ
ダジャレです