耳の長い同居人
民俗学者を騙る男の部屋には、助手を騙った女が住んでいる。いや、棲み着いていると言った方が正しいか。女はある日突然やって来て、それ以来ずっと棲み着いている。
女の頭には耳がある。それも普通、側頭に付いているような物ではなくて--勿論、普通の物も付いているが--毛足の長い三角形の耳が付いているのだ。おまけに、今にも「こん」とでも鳴きそうなほど、ふさふさした立派な尾っぽが生えている。どちらとも、豊かに実った稲穂のように鮮やかな金色だ。
つまり、女とは狐である。
学者のフリをした男の部屋には、ヒトのフリをした女が居着いている。男は民俗学者を騙って全国津々浦々、人に詳しく言えない、あまりよろしくないことをやっていて、女はその、人に見合わぬ賢しさに惹かれてやって来た。そうして助手の真似事なんかをしているのだ。
男の見立てに拠ると、女に生えた二対の耳はそのどちらもが耳としてきちんと機能している。頭の上に生えているは、ただのお飾りではないらしい。例えば後ろから話し掛けた時、返事よりも先に両耳がこちらを向く。例えば夕暮れ時、窓の下を通る学生のやり取りを、両耳をぴこぴこと小刻みに動かしては興味深そうに聞いている。
そういう様子を見ていると、実家で飼っていた犬が脳裏に浮かぶ。そういえば、狐も同じくイヌ科のはずだ、と男はふと思った。
事件か事故か、けたたましいサイレンが鳴り響いているのが聞こえる。女は窓際にいて、やはり両耳をあちらこちらに向けて、その音を捉えようとしているようだ。
「なんでしょう。物騒ですねぇ」
と呟く女に、男は素っ気無く、さあ、とだけ返事をした。間違えてもここで話に乗って、二人仲良く窓際で外の様子を伺おうなんてことをしてはならない。下手な相槌を打って、面倒なことに巻き込まれるのだけは避けたいからだ。
女は狐である。人間ではない。
だから、人間の男が考える常識など通用しないし、また、理解することもない。それは、この部屋に住み着くようになってからの短い付き合いの中でも、充分過ぎるくらいに思い知らされたことだった。得体の知れないものにはなるべく関わらないようにする。それが一番安全だと、男は経験則上知っている。尤も、向こうから関わりを持とうとして来た場合は別であるが。
女がここに住み着き始めてそろそろ一月になるだろうか。最初こそ戸惑ったが、今ではすっかり慣れてしまった。というより、順応してしまったと言うべきか。男が女の方を盗み見ると、窓の外の監視に飽きたらしい女が不意に振り向いた。女と視線が合って、男は慌てて目を逸らす。前言撤回。女の存在にこそ慣れてしまったが、何でも見透かしたようなあの視線については未だに慣れない。その視線にすら慣れてしまった時にはもう手遅れだろうかと男は自嘲気味に笑って、そしてやはり、奇妙な同居人はその耳と尻尾を優雅に揺らしているのだった。