幽霊と私


 安田は存在も生き様も冗談みたいな人間だし、喋ることもてんででたらめだらけで、頭から爪先までふざけた奴だけれど、一度だけ冗談とも本気ともつかないことを言ったことがある。
 
 安田は基本的に自分の骨が収まっている墓の近くでぼんやりしている。何を考えているとも考えていないとも分からない顔でぼんやりと。それでいて私が近付くと薄く笑って「おはよう」とか「おかえり」とかの言葉を掛けてくるのだ。
 
 たまに出掛けている日もあって、どこに遊びに行ってんの、と聞いたことがある。「適当に。そのへんフラフラするだけでも楽しいよ」安田はそう答えた。フラフラというよりフワフワじゃないの、と指摘すると「確かに」と言って小さくクククと笑った。
 
 ぼんやりしていない日はというと、墓地を通る野良猫を眺めたり、墓参りに来た人の顔を興味深そうに覗き込んだり。だけれども人が来ることが少ない土地なので、やっぱり安田はいつもぼんやりしている。
 
 安田は空を眺めるのが好きらしい。
「恵美ちゃん、空じっくり見たことある? 雲の流れって結構見入るよ」
 前にそう言われて2人で暫く青空を眺めた。多分その時の私は、いつも安田がしているような何とも言えない間抜けな顔をしていたに違いないと思う。
「あ、ほら、あれ金魚っぽい」
 慣れか才能か、安田は雲から何かの形を見出すのが無駄に上手だ。その無邪気さがなぜだか腹が立つので、その度に私は渋い顔でギュッと舌唇を噛み締めている。安田は私の神経を逆なでするのも上手い。
 
「死ぬ前は空なんかあんまり見たことなかったからさ、逆にいい経験になったかもね」
 長時間上を向き続けたせいで痛めた首を擦っている私の横で、安田は過去に刺されたらしい腹部を擦りながらそんなことを言った。どこまでポジティブなのか、と呆れながら「ああそう」と相槌を打つ。
 
 安田の透けた足が視界の隅で足を組んでいる。安田は墓石に腰掛けているので、透けた足の向こうには墓石が見える。私は雲を見ながら思い付いた疑問を口にする。
 
 私達の会話の発端の8割は、私がふとした疑問を口にすることといっても過言ではない。疑問は安田に関することが殆どで、安田も結構はっきり答えてくれたりするので案外盛り上がる。だから今日も聞いた。いつもと同じように、「死ぬってどんな感じ?」と。
 
 場が凍るって言うんだろうか。
 その場の温度が2℃くらい下がった気がした。
 安田の死に関することを聞いたのこれが初めてじゃない。「何で死んだの?」とか「自分の葬式見た?」とか、一度や二度じゃなくて何度も聞いた。かなり失礼だとは思うけど、好奇心には変えられないし、安田も特に気にした様子もなくその都度答えてくれた。
 
 その日、たまたま安田の虫の居所が悪かったのか、私の聞き方が悪かったかは分からない。ただ、「死んだら分かるよ」と答えるその口調も表情も、いつもより冷たくて強張っていたことだけは理解できた。
 
 その質問から後、何と返事をしたのかも、どうやって家に帰ったのかも、一切記憶に無い。
 
 
 
 
 ーーなんて、そんなことはなく、安田の変化には気付かないフリをしたまま、「へえ」だとか「ふうん」だとか、なんだかバカみたいな返事をして、その話はそれっきり。
 その後はまたいつもの他愛ない話をして、そこそこの時間に切り上げて、家に帰って晩ごはんを食べ、テレビを見てお風呂に入って、寝た。それから目覚ましの音で普段通りに目覚めて、支度をして、朝ごはんを食べて、家を出た。そうして通学路の途中にある墓地の横を通る時、ぼんやり雲を眺めていた幽霊はこちらに気付いて「おはよう」だなんて声を掛けてくる。
 
 いつも通り。
 今日も明日も明後日も私達はいつも通りだ。
 失言をしようが(果たしてあの質問を失言と捉えていいのかどうかは別として)、触れてはいけない部分に触れようが、私達はそんなもので変わるような仲ではない。
 
 別に自分の話術を自負する訳ではないけれど(むしろ私は口下手の部類だ)、少なくともぼんやり雲を眺めるよりは誰かと話している方が楽しいと思う。
 私が安田に話し掛けるのはただの暇つぶしだし、安田が私の考え無しの問い掛けに返事をしてくれるのも暇つぶしだろうし、私達の間にある感情は別段なんということはなく、ただ、私も安田も寂しいというだけなのだ。